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仲間と共に「できた」喜び
孤立したSの叫びに応える教師
”内なる訴え”を感じ取り平 治(筆名)
2000年4月26日(水)産経新聞静岡版”学びと教えの現場から”掲載
続「名札のない少年」
同じクラスの子供たちから、だれ一人として相手にされていなかった ”名札のない少年”S。その彼が、「皆と一緒に仲良く過ごしたい」という悲 痛な叫びをもっていたことは前回報じた。今日は、その続きー。
*
新学期早々の慌ただしい中ではあるが、私を含めた学級の皆に、彼の よさを発見するチャンスが訪れた。「二桁×一桁」の計算を筆算で解く三 年生の復習の授業の時のことである。
子供たちにプリントを渡し、私は彼らがどのように問題を解いているのか、 机の間をまわりながら、一人ひとりの解答状況を確認していく。これを、か つて「机間巡視」、今では「机間指導」という。
件(くだん)のSの一問目の解答はこうだった。
32×4=134
あきらかに間違いである。しかし、間違いではあるが、彼は全ての問題に 答えを書いていた。
そして、そこには誤りの法則があるようなのだ。
■解答に込めた願い■
このほかのSの計算を並べてみる。
44×3=143
56×8=158
72×8=178
55×8=158
答え(積)の一桁目にはかける数を、答えの二桁目はかけられる数を、そ して答えの三桁目には、すべてに1をつけている。
「なんだ、デタラメじゃないか」といぶかる読者も多いことであろう。
その通り、デタラメなのかもしれない。
しかし、Sは答えが三桁の数になるはずだと考えているのだろう。一の位 も十の位も百の位もあるということは、意識しているのであろう。
一見デタラメに書いているように見える答えも(実はそれが、おそらくバツ になるとわかっていても)、
「先生、ここまでは、ボクわかるよ。でもアトどうしたらいいのかワカラナイ。 ボクもデキルヨウニナリタイヨ」という叫び、訴えのように見える。
Sは答えることから逃げていないのだ。間違えても間違えても何題出題さ れようと、おそらくこうした答えを書き続けるのだろう。
この現象の奥底に潜む内なる子供の願いや叫び、訴えを感じとれるよう に努力していく。私たち教師にしかできないことなのだ。
■マチガイ分かった■
授業は、Sの解答した5題を子供たちに写させるところから、始まった。
3題ほど写し終わった頃になると、子供の中には、
「先生、S君のマチガイ、分かった」と耳打ちする子も出てきた。どの答えに も見られる誤りの共通性を子供たちは見つけた。それをもとに、正しいやり 方をSに教えることが始まった。
ある子が「S君分かりましたか?」と問う。「わかりました」とS。 これで学習が終わるかと思っていると、男の子が 「S君が実際にできるかどうか、一題やってみよう」とクラス全体の子供た ちに呼びかけた。うれしくなった私は、彼の発言を褒め、「45×6」という問 題を出した。
Sの隣に座っている女の子が心配そうにのぞく。
私は分かりきっていることと承知の上で「だれにやってほしい?」と聞いた。 「S君にー」。前に出て答えを書くS。その姿を見つめる子供たち…。
「270」
「ヤッター!!」という皆の声。
その直後、拍手が自然と生まれ、Sの顔に、初めて笑みがこぼれた。
*
教室の小さなドラマの一コマである。こんなささやかなものを積み重ねながら 一人の子供の世界が変わっていく。Sはやっと、仲間と共に、学習の中で「でき た」という喜びを得た。
でも、まだ一つに過ぎない。この一つを、一つずつ重ねていく中で、子供の世 界に本当の意味で受け入れられていくのである。それらを実現させるのは、 大人に課せられた使命である。